IHS夏期プログラム ボランティア特講を終えて

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毎年、夏、IHSでは希望者を対象にボランティアの特別講義を行なっています。一つは、兵庫県丹波市市島町にある有機農法実践農家での「有機農業実習」。そして、もう一つは、奈良市は杣ノ川町にある知的障がい者の方たちのための総合援護施設、あおはにの家での「ボランティア交流実習」です。
 日頃から有機農業に興味を抱いていた生徒や、これをきっかけにボランティアをしてみようと思っている生徒が集まり、炎天下の中ではありましたが、汗を流しながらの活動を通して、それぞれに学び、また思うことがあった様子です。
 IHSでの夏休みは長いですが、学校が提供するプログラムの充実度は夏バテを知りません!

では、生徒の感想からの抜粋をご覧下さい。

有機農業実習   2005/7/25~28

15_31_1.jpg1年生 男子
 今回、またひとつ大切なことを思い出した。有機農法とは、多種多様なものを認める農業である。それは、足の速さ、力の強さ、頭の良さに関係なく、人々を集めさせるようであることも分かった。これからの日本がこのような社会になればよいと思う。

1年生 女子
 人とは、周りの人・物・環境、全てに支えられて生きている。多大な犠牲を出しながら平然と。そして、いらなくなったら捨てていく。けれど、全てのものは循環の枠組みの中で生きているのだから、いかに粗末にせず、多くのものを生かし、生かされて生活するのか。その時、どれだけの犠牲が払われ、自分もそれに応えることが出来るか。そのことを痛感し、自分の手で壊した循環の輪を、自然なものに戻せるか、あるいは、状態を悪化させないようにするか、それが私がやっていかなければならないことだと強く感じました。言葉じゃなく、身をもって体験できたことを本当に有り難く思いました。

1年生 男子
 今回、農家の方々を見ていて初めは、なぜ脱サラしてまで農業しなあかんねんと思っていた。だけど、実際に彼らを見ていると、顔が生き生きしていて、ストレスもなさそうだし、何より楽しそうだった。僕がいつも見ている、満員電車に乗ってスポーツ新聞を読んでいて、肩が当たっただけで怒るサラリーマンより、めちゃくちゃかっこよかったし、人生に余裕が見られた。

2年生 女子
 農業を経験していく中で、私は、彼ら百姓や自然からいろいろなことを学んだ。働く事=学ぶことなのである。今の社会で「ニート」が増えているのは、「自分に合った仕事がない」とか「自分は何をしたらいいのか分からない」とか、これはただ単に仕事をしていないから分からないのではないだろうか。思い切って何かを、何でも良いから始めることで、人間は最終的に見つけるのだ。

ボランティア交流実習   2005/8/1~4

ボランティア特講2日目の夜、参加者全員でのグループワーキング後の感想

2年生 女子
私たちは障がい者の人たちのことを知らなさすぎるのではないだろうか。例えば、彼らがとても優しくて、何事についても真剣であること、手先が器用で絵を描くのが得意な人が多いことなど、あげればたくさんある。この2日間という時間で私は全てを理解したわけではないが、少なくとも私の価値観が変わった貴重なきっかけであったことは間違いない。今後もこのような機会が増え、よりよく理解できるといいなと思います。そしてこのことを私の周りの人たちに伝えていきたいです。

2年生 女子
はじめ来た時、みんな人として「一生懸命生きているんだなぁ…」って本当に涙が出そうになりました。それなのに私たちは文句ばかり言って、すごく情けなく思いました。足りないわけじゃないのに求めすぎていると思うのです。言葉で表現できない分、絵や歌、ダンスに工作などで表しているから、芸術センスがものすごく優れていると感じて、そういうのを生かせれたらいいなと思ったし、手助けしてあげたいと思います。

2年生 女子
みんな1日目と2日目では、やっぱり2日目の方が(あおはにの)利用者の人と仲良くなれたそうだ。私は個人的に1日目は「敬語を使わないと」という意識があったので、すごくかたくなって、知らないうちに壁をつくっていたような気がする。今日は普通に話せるようになりました。すると昨日よりたくさんの人に話しかけられることがありました。

2年生 男子
障がい者の人たちと接するときに、妙に態度を変える必要がないと(少なくとも僕は)思った。もっと彼らを障がい者として接するんじゃなくて、一人の人間として接することが彼らとのコミュニケーションで一番重要なのではないかと思う。

2年生 男子
ひとくくりに障がい者ではなくて、みんな一人一人に個性があるという言葉には共感できました。利用者のみなさんはそれぞれ特徴があって、私たちと同じように個性があるのだと思った。皆さんそれぞれ違っていて、それでも(その方たちが所属している)班の社会の中で自由気ままにやるのではなく、お互い気を遣いあっていた。また、障がい者の方たちが我々の社会に合わしていくのではなく、我々がもっと障がい者の方たちが入ってきやすい、なじみやすい社会をつくり提供するべきなのだと感じました。