2年生(17期生)海外研修:タイ チェンマイの姉妹校PRCと交流

 

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本校の海外研修では、1990年の1期生以来、例年アジアの高校との交流を実施してきました。このところは、タイのチェンマイにある姉妹校PRC(The Prince Royal's College)との交流を続けています。こちらから行くばかりでなく、日本に迎え入れての相互交流が出来ています。
今年はPRCの所有する山地でのダム作りを経験しました。ここ数年、チェンマイは洪水による大きな被害を受けています。それを防ぐために竹と雑草の根をうまく利用し、手作りのダムを完成させました。

●生徒のコメント・その1

 

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僕は海外研修でタイに行ってきました。出発前までは多少不安に思っていたのを覚えています。しかしタイは自分のイメージしていたよりもすごくいい所で、友達とも楽しく過ごせ、とても良い思い出ができました。そこで、その思い出をかいつまんでお話させていただきます。
 1日目、僕たちはチェンマイで象に乗る体験と植林・ダム作りのボランティア活動をしました。象に乗って30分ぐらい山道を散策したと思います。スリルもあってとても新鮮な体験でした。ボランティア活動は暑い中でしたのでとても疲れましたが、皆で一つのものを作りあげることができてよかったです。この日の夜からPRCの生徒の家にホームステイをしました。この旅の一番の醍醐味といえるでしょう。YMCAとPRCの深い親交があってこそ成し得た経験であり、両校の先生方には感謝しています。ホームステイ先では、いろいろな所へ連れて行ってもらいました。フラワーパレード、ドイステープ寺院、ナイトサファリなど、ホストファミリーと一緒に過ごした時間はかけがえのない思い出です。とても親切にしていただきました。ナイトサファリは新しく出来たばかりで世界最大規模なので、おすすめの場所です。また今回楽しいばかりでなく、とても勉強になったことがあります。それは山奥にある孤児院に連れて行ってもらったことです。そこで物を寄付するボランティアを体験させてもらいました。孤児院の子はとても健気で元気です。そんな状況におかれても楽しそうに生きているのを見て複雑な心境になりました。僕たち日本人は毎日何かしら妥協し、甘えながら生きている気がしてなりません。物が満ちあふれていていると本当に大切なものを見失うのです。とは言え、世界の貧困は重大な問題です。タイでは7割の人が今なお貧しい暮らしをしているのだそうです。僕たちはこの問題について真剣に考えるべきだと思います。どんな小さなことからでも、自分にできることはあるはずです。そういったボランティアをするとともに何より今の生活に甘えを持たないこと、また今あるものを素直に受け入れ毎日に喜びを感じることが本当の幸せだと思います。
 チェンマイでの5日間のプログラムを終えるとバンサーンに移動するわけですが、出会いがあれば別れもあります。切なさ・名残惜しさが残り、出た涙は僕がこの街や人を愛した証です。その後、バンサーンでバナナボートやジェットスキーでマリンスポーツを堪能し、次の日アユタヤで遺跡見学をしました。
 今回の旅を振り返って、生きてきた中で一番楽しい時間でありました。友達との仲も深まり、人との関わりがなかった僕にとても貴重なものでした。皆、楽しい思い出をありがとう。僕は一生この旅を忘れません。そしてタイという国がいかに素晴らしいかわかりました。春休みにプライベートでタイに行く予定です。
 恋という落し物を拾いに行くために…(笑)

●生徒のコメント・その2

 

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言葉とは、どういうものなのでしょうか。それは意思の疎通をはかる伝達手段です。一つの国境を越えてしまうと違うものになるし、また同じ国であっても地方によって少しずつ異なるものです。人間は言葉という一つの道具を駆使して、たくさんのものを作り出しました。そのため文明はどんどん複雑化し、お金持ちの人と貧乏な人の差が次第に激しくなっていったのです。
 「大阪はどうしてこんなに空が狭いのでしょうか」福井県の田舎にある小さな寄宿制の学校を卒業したわたしが、都会にきて初めて思ったことでした。都会は便利・田舎は不便、住むなら都会、などといった声を耳にします。それなのにどうして、都会の人は疲れきった表情で満員電車に揺られているのでしょうか。わたしは都会を否定しているわけではありませんし、皆が皆疲れきった顔つきをしているわけではありません。しかし都会の便利でリッチな生活は、人間の心までも豊かにしているのだろうか、と少し疑問に思っているだけです。日本人はみんな物質的には豊かだと思っています。だって明日の食事に困らないし、捨てるほど物がありふれているでしょ。日本はリッチな国だと思っています。でも心が本当に豊かな人はごく僅かだと、わたしは思います。もしみんなの心が豊かならば、誰も自殺なんかしないはずでしょ。わたし、これは一つの抵抗運動だと思うの。社会が一人歩きをして人間の心より複雑になってしまったの。だからもう追いつく元気はないです、限界です、って。
 言葉が通じない南国の地でわたしはホームステイをすることになりました。べつに期待をしていたわけではありませんが、それはそんなにいいものではありませんでした。日中ずっとどこかに連れ回され、帰宅は遅い。シャワーのお湯は出ないし、ベッドに入ってもホストシスターに延々話かけられ、やっと寝ることができたと思うと朝早くに目が覚めてしまう。お互いの共通言語である英語はろくに通じないし、食事の量はいつも多い。向こうの好意なのは分かる、しかしながら自由奔放なわたしは滅入ってしまう。のんびりした空気にもだんだん嫌気が差してくる。ところがどうでしょう、空港でのお別れのとき、わたしは誰よりも泣いていたのです。あんなに腹を立てていたはずなのに。もらい泣きと言う人もいました。しかし、わたしはそうではないと思うのです。言葉も通じなかったのにわたしはなぜ泣いたのでしょうか。言葉の壁を乗り越え、もっと深いなにかを、わたしは彼女と感じたのでしょう。だからわたしは泣いたのだと思います。言葉にしてしまうと簡単で、薄っぺらできれい事になってしまう。けれど、わたしはその時、「ことば」にして知ったの、言葉は意思の疎通をはかる一つの道具に過ぎないってことを。
 わたしはあの南国の地で空を見上げました。それは澄みきった広い空でした。ゆったりと時間が流れてゆく。南国の風はわたしに囁きました。そんなに急がなくてもいいよ、と。そう、それ、わたしは確信したのです。人間の心が追いつけなくなるほど、急速に文明は発展する必要はない、ということを。言葉によって複雑化された空の狭い都会の人たちは、一度、タイのゾウの上に乗ったおじさんの顔を見るべきだと思いました。そうすれば自らの「いのち」を絶ってまで抵抗する人は少なくなる、そうわたしは感じるの。

●引率教員のコメント

 

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The trip to Thailand is one of my favorite school outings. It is a wonderful chance for the students to use English as an international language, communicating with students from our sister-school in Chiangmai. They learn all about another culture and make friends, all the while, using English. It is also a good chance for the students to bond together as a group. Every year, by the end of the trip, the 2nd year students become more of a team, working and playing together. It is a great opportunity for the students to grow and mature, while having a lot of fun!