
9月19日から22日までの3泊4日、IHS生の希望者7名(3年生5名、2年生2名)引率2名は、社会福祉法人青葉仁会が運営する知的障碍(がい)者施設「あおはにの家」でボランティア実習を持ちました。この施設は、緑に囲まれた奈良市東部、杣ノ川町の山間にあります。見た目にも美しいモダンな建物に約100名の人たちが居住し、40名ほどが毎日通って利用されています。グッズ製作作業や日常生活介助のお手伝いが主なボランティア活動でした。クリエイティブ班とジョブ班に分かれ、それぞれ利用者(あおはにでは、「利用者」と呼ばれています)の皆さんのお話し相手になったり、彼らに教えてもらいながら一緒に製作をしたりさせていただきました。言葉でのコミュニケーションに難がある人がいるかと思えば、のっけからものすごく親しげに触れてくる人が居たりで、どう対応していいのか分からず、始めはほんとにドキドキの体験でしたが、指導員として活躍しておられるIHS‘95年卒業生のIさんの助言と協力には、ほんとに助けられました。
21日・22日は、オータムリクリエーションという特別な行事の日で、施設のほぼ全員が曽爾(そに)高原まで出かけて行って一泊の楽しいプログラムを持たれました。IHS生たちも一緒に宿泊させていただき、プログラム実施のお手伝いや介助、食事の準備等をさせていただきました。戸惑いが大きかった彼ら・彼女達ですが、この頃にはすっかり利用者の皆さんとのやり取りにも慣れ、一緒に楽しみながらお手伝いが出来るようになっていました。晴天にも恵まれ、銀色に輝く一面のススキ原に響く利用者の皆さんの歓声が耳に残っています。
この4日間の利用者の皆さんとの交友を経て、高校生としての日頃の生活からは絶対に得られない、大きな学びを得ました。嬉しいときは目一杯喜ぶ。悲しいときは、大声で悲しみを伝える。手をつなぎたいときには迷わず手を差し出す。人が人と関わるとはこんなに純粋で、素直なものであっていいのだという、目から鱗が落ちる体験をさせて頂きました。
活動内容

クリエイティブ班とジョブ班に分かれてのお手伝い
クリエイティブ班では絵を描いたりデザインや張子(はりこ)製作をしたりしました。ジョブ班では、市販されている「あおはにグッズ」の製作作業のお手伝いをしました。
オータムレクリエーション
21・22日は、利用者の皆さんが待ちに待ったオータムレクリエーションの日でした。「曽爾少年自然の家」に宿泊して、大自然の中で特別なひと時を持たれました。IHS生も楽しみながらお手伝いさせていただきました。
参加生徒感想文「青葉仁での経験を通して得た価値観」

ボランティアの特別講習を終えた。長い四日間だった。初めはいやでしょうがなかった。私にとって知的障碍(がい)を背負っている人たちは、多くの謎に包まれていて、それゆえ近づきがたかったからだ。私は、その謎の部分に心を惹きつけられたり、もっと深く知りたいなどと思ったことがなかった。今回の講習では、私は恐らく彼らを避けてしまうだろうし、それを察知した彼らは心を閉ざしてしまうだろうから、この四日間はひたすら我慢をするしかないと思っていた。
初めの二日間は、その予想が的中し、私にとっては忍耐の修行のようだった。私たちが青葉仁の駐車場で立ち往生をしているとき、たくさんの利用者さんたちが集まって来ては自己紹介をしたり、講習の一環である作業にたった一人で割り当てられたりしたとき、私はまるで異国の真っ只中に放り込まれたようで、本当に不安だったし、居心地が悪かった。仲のよい友達と離ればなれになるのも、いやだった。
そんな「忍耐の修行」真っ只中であった私にも、利用者の方々について一つ気がついたことがあった。それは、彼らの微笑み、そしてそこから発せられる一言一言には、嘘偽りがないに違いない、ということだ。例えば、私たちが日常生活で時に強いられる愛想笑いを、泥のたまった水溜りの水だとすると、彼らの微笑みは山の小川を流れる清流。まだ何にも汚されておらず、しかも、ひとりでに沸き起こってくる。それを口にした人が顔をしかめるなどということが、果たしてあり得るだろうか。
「ここの人たちは、本当に幸せなんだろうなあ」
私は心の中でそう呟いた。殺伐とした雰囲気の現代社会にもまれるようにして暮らしている私たちよりも、ここで暮らしている利用者の方々のほうが、もしかしたら人生をより謳歌しているのかもしれない・・・・・・そんな気がすることさえあった(実際、そうであると思う)。
そう思えるようになった瞬間、ぼんやりとした希望の光が、私の心の中に芽生えた。
「私、もしかしたら、この人たちに心を開けるかもしれない」
そんなこんなで何とか三日目に入り、出会ったのがMさんだった。青葉仁の行事でもあるオータムレクリエーションで、私がMさんの付き添いをすることになったのだ。
Mさんは口数の少ない人で、当初私はMさんの感情が読めずに戸惑ったが、そんな戸惑いも吹き飛ばしてしまうほどの不思議な癒しのオーラが、Mさんにはあった。まだあまり言葉を交わしたことがないというのに、Mさんを誘導してあげるために腕を引っ張っているだけであっても、私はなぜか居心地の良さを感じたのである。
オータムレクリエーション一日目、Mさんのいるグループは、アスレチックで遊びながら過ごした。しかしながらMさんは、動作が非常にゆっくりな上に運動が嫌いなようで、他の人と違うルートを辿っては、もっぱら地面に座り込んで私と二人で話をしていた(Mさんは何度も同じことを聞いてきたけれど、不快ではなかった)。
その日の晩、Mさんは私にこう言ってくれた。
「ありがとう。ここに来てええ友達できたわ」
翌日、グループのみんなでハイキングをしたが、Mさんはやはり口数が少ないものの、嬉しかったり楽しかったりすると大声で笑ったりするなど、初めて会った時よりも感情表現が豊かになっているような気がした。私に心を開いてくれたのかなあ、と思うと、少し嬉しくなった。
ハイキングコースの階段をゆっくりと登ってゆくMさんの手を引きながら、汗だくになってほぼ山登りとも言えるきついコースを達成すると、何とも言えない幸福感が波のように押し寄せてきた。ただハイキングを終えただけでは得られない、自分の中にある何らかの壁を乗り越えたような達成感だ(Mさんはと言うと、青葉仁のスタッフさんに「一年分の運動をした」と言われる程に、たくさんの汗をかいていた。それ程にがんばっていたのだ)。
私は、目を背けても逃れられない現実の社会やその中での対人関係において、誰(何)に対しても如才なく振舞うことなどできないし、また自分の性格からして無理にそうしようとも思っていなかったので、どちらかと言えば孤立しやすいことを自分自身でも理解していたけれど、こんなにも短期間のうちに自分を受け入れてくれる人もいることを知り、世の中を、周囲の人々を、そして自分自身を、たやすく見くびってはいけないと思うようになった。