お知らせ

不登校の子どもたちへの想い

不登校の親の会「カモミール通信」に掲載される
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不登校の親の会「カモミール」より、表コミに原稿依頼があり、不登校の子ども達への思いを書かせていただきました。


 

「時がくれば花が咲く」

我が家の玄関先のプランターの花たちが10月になって咲き始めました。春に咲き始めていたのに今年の暑い夏には、花は散り、つぼみもなくなり、私が帰宅する夜には、葉も茎もぐったり下を向いていました。水をやっても枯れているかのように見えているものもありました。それがどうでしょう。息を吹き返したように今次々に咲きはじめたのです。花たちは炎天下の夏、じっと耐えていたのです。決して枯れてはいなかったのです。息たえだえになっていても諦めることなくエネルギーを細々とためて、自分の出番を待っていたのだと思い、いとおしくてたまらず、じっと見入ってしまう毎日です。

この花たちを見ていると、不登校の子ども達のように思えます。何を思っているのか私にはわからない。自分に諦めているようにも見える。でも、でも、じっと自分が動ける日を待っているのかもしれない。だから私は自分のできること、今日も水を撒くのです。芽は出る時に出る、花は咲く時に咲く。その時期が来るまで、水を撒きすぎず、肥料もいい分量で注げる自分でいたいと思います。きっと時々は水をやりすぎたり、肥料も多すぎる時もあるかもしれません。黙っているものに、誠実に心を寄せたいと思っています。


不登校をそばアレルギーみたいなもの、と言った人がいます。「おそばが嫌い」と言ったら、まわりは「少しでも食べなさい」と強要するでしょう。でもおそばを食べたくても、食べたら吐いてしまう、発疹がでる、なら誰も強要はしないでしょう。ところで、私はひどい方向音痴です。「方向音痴です。えへへ」と笑えるようなものではなく、何か脳の一部が欠落しているように感じています。自分のことは好きだけど、この部分だけは自分を信じていないのです。道に迷った時、ひどく混乱します。発達に課題のある人もこんな感じなのかな、しんどいだろうなといつも思っています。きっと私もそういう課題はあるのでしょう。これは努力しても克服できないものです。だからうまくつきあっていくことを考えています。迷った時は自分の勘は信じない、すぐ人に聞く、電車は降りた時に階段に近い所に乗るなんて決して考えず真ん中に乗る、それは私の自己防衛です。

不登校は克服するものでも、治すものでもない。でもその子が安心できる環境が整えば、きっと動き出せる。人間ってこんなに変わるものだと生徒を見て感動する日々です。