私の目には、あなたは高価で尊い

 先日、一人の卒業生が人生に行き詰ってしまったことを知りました。卒業後も時々遊びに来てくれ、お母様からは「高校時代が一番楽しかった」との感想も頂いています。「あの生徒にどんな力をつけておけばよかったのだろう」と口に出した時、ある人から「その個別能力感が子どもを追い詰めているのではないですか」と、予期せぬ問いを受けました。私たちは卒業後の生徒には「幸せになってほしい、幸せで豊かな人生を送ってほしい」と思っています。それが何よりの願いです。幸せは、自分が自分でいいと思えること、自分らしく生きることだと、在校時には伝えてきました。

 しかし、よく考えてみると、子どもは小さい時から家庭や、学校から知らず知らずのうちに、明るく、賢く、積極性のある子が良い、と強要されているのではないでしょうか。私たちも小さいころからその価値観の中で育ち、「自分らしく生きる」ということを伝える一方で、知らず知らずのうちにその価値観を生徒にも押しつけているかもしれない、と思った時、暗澹たる気持ちになりました。

 さきほどの卒業生は、職場では大変評価されていましたが、「周りに期待されるような自分ではない。自分はダメな人間なんだ」と思っていたようです。理想とする価値観に苛まれ、期待に応えないといけないと追い詰められたのかもしれません。

 今、文部科学省が高校生に身につけさせたいことに「不確実性の高い社会を生き抜くための力・・・」とあります。「生き抜かないといけない社会」と想像するだけで、私は苦しく、生きづらく感じます。

 キリスト教主義の本校は、神様の目から見た時、生徒の存在は他者との比較ではなく「あなたそのものに価値がある」と伝えています。まず、あなたを絶対的に認めてくださる神様との関係があるから、それぞれが認められた存在として誰かと一緒に生きる、支え合える関係の社会を創ることが出来ます。このことを伝える役割を本校は担っていると考えています。

 私たちが当たり前に思う価値観を生徒に押し付けないよう、生徒の声を聴きながら、お互いの存在の大切さを伝え、指導者として、生徒たちと伴走する私たちでありたいと思っています。                              

聖句「私の目には、あなたは高価で尊い。」 旧約聖書 イザヤ書43章4節

校長 鍛治田 千文