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後期最初の全体礼拝

 

今回与えられた聖書の箇所は、テサロニケの信徒への手紙一 第5章16節~18節でした。 

 

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16 いつも喜んでいなさい。

17 絶えず祈りなさい。

18 どんなことにも感謝しなさい。

   これこそ、キリスト・イエスにおいて、

   神があなたがたに望んでおられることです。

 

お祈りの後、今回の聖書箇所ととさぼりカーニバルにちなんで、岡村牧師より「いつも喜んで」という題でお話をいただきました。

カーニバルというと、ブラジルのリオのカーニバルなど、派手なお祭りのイメージをもつ人が多いかもしれません。カーニバルは日本語に訳すと「謝肉祭」という意味です。本来は、キリスト教の習慣で「受難節」という肉や酒を控える期間の前に、肉を存分に食べておく祝祭です。「受難節」とは、キリストが十字架にかけられたこと、そしてその苦しみを思い出し、祈りに多くの時間を費やすための期間です。そのために、肉や酒などの嗜好品を避けます。また、この2月の時期は、秋までの蓄えを冬に消化し、ちょうどその蓄えがなくなる時期で、まだ残っているものを一気に食べる時期でもあります。

秋のカーニバルは、旬の食べ物を食べ、恵みに感謝し、喜びをわかちあう祝祭ですね。しかし、今回の聖書の箇所では、そういった嬉しいときだけではなく、「いつも喜んでいなさい」と言われています。いつも喜んでいることは、わたしたちのとって難しいことです。例えば、ちょっと足の小指をぶつけて、少し痛いだけで、不快な気持ちになってしまいます。

しかし、教会にいる人は、痛苦を抱えていてもいつも笑顔でいることができます。なぜなら、彼らはイエスを知るものだからです。イエスを知るということは、自分が今なぜここにいるのかを知る者です。

人は、神が土に息を吹き入れたことによって生まれました。そのとき神は、人がいつも喜んで、感謝するように、人をつくったのです。今回の聖書の箇所の最後に“神があなたがたに望んでおられることです”という言葉が出てきましたね。これは、神が人に命令をしているのではありません。神が望んだことは、必ず現実になります。

人は、絶望しそうになっても、神によって、いつも喜んでいられるようにつくられています。このことを、時々思い出して下さい。今の楽しみや苦しみにも意味があります。カーニバルや誕生日だけでなく、いつもわたしたちは神によって生かされていることを、喜びましょう。

 

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